中国見聞

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中国の少数民族

桂林からの漓江遊覧を終えて陽朔の町に着くと、波止場はおみやげものを売る通りに続いていた。工芸品を売る店がほとんどで、少数民族 (Minority) という表看板も見られる民族色の強い通りであった。中国には50以上の少数民族が住んでおり、総人口に対する割合は1割弱である。チワン族 (壮族、Zhuang-zi) は少数民族のなかの最大のグループで、そのほとんどがこの広西チワン族自治区に住んでいる。総数1300万人から1800万人という数字がみうけられるので、中国の全人口のおよそ1パーセントの見当である。自治区の総人口を5000万前後と推定して、約三分の一の人口がチワン族ということになる。とはいっても、民族衣装を着た人が町を歩いているわけではないし、漢族のほかに、ヤオ族、ミヤオ族など10以上の少数民族もこの自治区に住んでいる。1958年に省全域が自治区となった。

民族色ゆたかな陽朔の店  撮影:2005/03/25
民族色ゆたかな陽朔の店 撮影:2005/03/25

五色の糸で織ったチワン錦と歌の上手なことでしられるチワン族は、男女とも黒色を正式の礼装とし、腰にはエプロンと紐を結ぶとされているので、民族舞踊ショーでみたこの踊りがチワン族のものであったと思う。タイ語系のチワン語を話す原住民であるが、秦の始皇帝時代 (紀元前246-210) にその支配下に入った。漓江の上流と揚子江をつなぐ運河 (霊渠)は、始皇帝時代の三大利水事業の一つであった。秦が滅んだあと、漢族と原住民とからなる混成国家の百越が、広東、広西、現在の北ヴェトナム地域に興るが、漢の武帝によって紀元前111年に亡ぼされる。勇猛なチワン族兵士は狼兵ともよばれ、明時代に倭寇の鎮圧に動員されたこともある。長い漢族との交流により漢語が浸透し、チワン族には漢字姓を名乗る人が多いときく。

民族舞踊ショーの一場面  撮影:2005/03/25
民族舞踊ショーの一場面 撮影:2005/03/25

英語の上手な地元の観光案内嬢が、私は漢族の夫をもつので「漢」ですと自己紹介した。自分は少数民族の出身だということなのであろう。漢族にはきびしく適用するひとりっ子政策を緩和するとか、奨学金を与えるとかの少数民族優遇政策があると説明していた。広西自治区には、民族小学校や、民族大学がかなりの数あるようで、各種の優遇政策の恩恵に与るために、少数民族の数は増加しているという報告もみられた。

この自治区(下の地図で1)の他に、中国には、チベット(2)、新疆ウイグル(3)、寧夏回族(4)、内蒙古(5) の四つの自治区がある。いずれも中国の辺境に位置する過疎地である。回族 (Hui-zu) は中国語を話しイスラム教を信仰するグループで、清代には回民、漢回などとよばれた。

中国の自治区と明朝の領土  撮影:2005/09/25
中国の自治区と明朝の領土 撮影:2005/09/25

地図に明朝 (1368-1644) の領土範囲を書き込んでみたが (破線)、北辺は明代に建造された万里の長城である (始皇帝時代のものはもっと北よりにあった)。中国大陸の北東部、満州にあった女真族の国 (後金) は、内蒙古のモンゴル族を併合して国名を大清国と改め (1636年)、明国の内乱に乗じて長城を越え北京に入城した。これが満州族よる清時代 (1644 - 1911) の始まりである。漢人の武将をかっての明の各地に配して統治する一方、その後100年以上にわたって、外蒙古 (点線)、チベット、チベットの東隣にある青海、新疆地区へと領土を拡大していった。つまり清時代の辺境が今日の自治区にあたる。辛亥革命による清朝崩壊後、外蒙古はロシアの援助を得てモンゴル人民共和国となるが (1920年)、1992年に社会主義をすててモンゴル国となっている。中国西部の回族でロシア帝国領に渡った集団は、新疆ウイグル自治区と国境を接するカザフスタン、キルギスタンに住む。

青海省の Golmud (地図を参照) からチベット自治区の区都 Lhasaに行く全長1100キロの鉄道は、まもなくレールの敷設が完了して、2007年には旅客輸送が開始すると伝えられている。その半分以上は永久凍土の上を走り、海抜4000メートルの終点に至る。交通、通信といった社会基盤の整備にともない、自治区への漢族の流入は年々加速し、漢族対少数民族の比率は、各自治区で大幅に変動していると伝えられている。

清朝成立に似た異民族の征服の例は以前にもあった。中国北東部の契丹族による遼 (907-1125) に続いて、女真族の金が中国北半分を領有し (1115-1234)、遼や金が取り残した地域はモンゴル族の世界帝国、元にのみこまれた (1279-1368)。さかのぼって、紀元300年頃からの五胡十六国時代もある。土地にしばられた農耕民族と機動力をもった遊牧騎馬民族の対立の図式としてみることもできるが、どちらのグループも世界帝国をめざす覇者を生み出した。漢族が中国の総人口の約90パーセントを占めるとはいえ、そのなかには漢化とよばれる同化で漢族となった人たちも含んでいる。多民族国家中国の今後の経済発展と少数民族の行方に興味をもつのは私一人ではないだろう。

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