東ヨーロッパ紀行

題目の選定



(10) プラハのアール·ヌーヴォー

ヴルタヴァ川から臨む聖ヴィート大聖堂  撮影:2014/05/06
ヴルタヴァ川から臨む聖ヴィート大聖堂 撮影:2014/05/06

プラハの市街にバスが入ると、丘のうえにひときわ高く聳える聖ヴィート大聖堂が見えた。ヴルタヴァ川 (ドイツ名モルダウ) は北に流れて午前中にドレスデンで見たエルベ川に合流するが、市内では蛇行を重ね18を数える橋がかかっている。ヴルタヴァ川を逆に遡れば、二日後に訪れる中世の町チェスキー·クルムロフとなる。

二泊したプラハのホテル   撮影:2014/05/06
二泊したプラハのホテル 撮影:2014/05/06

プラハで二泊したホテルはアール·ヌーヴォー·パレスという名の瀟洒な内装の宿で、旧市街広場に徒歩で行ける便利な所にあった。第二次大戦の戦禍をまぬがれたプラハは、11世紀頃のロマネスク様式に始まって、ゴシック、ルネッサンス、バロック、古典主義へと変遷する建物がひしめき合い、町全体が、約1000年に亘る建築·芸術様式を見物できる野外博物館の感を呈している。滞在二日目の午前中に2時間半の市内観光があったが、2009年に二日に亘ってより多くの建物を見物できたのでここでは割愛する(参照:2009年中央ヨーロッパ紀行)。

遊覧船から眺めたプラハ城と聖ヴィート大聖堂  撮影:2014/05/06
遊覧船から眺めたプラハ城と聖ヴィート大聖堂 撮影:2014/05/06

ホテルで休む間もなくプラハの夜景を遊覧船から眺める希望者向けの企画があった。聖ヴィート大聖堂を囲むプラハ城の全体像が照明のせいでよくわかる。周囲の建物は王宮、教会、礼拝堂、修道院などから成っていて、現職のチェコ大統領の執務室にあてられた建物もある。プラハ城の麓に城下町が発達し、ヴルタヴァ川の対岸に旧市街と呼ばれる地域が生まれた。旧市街が建築と芸術の時代変遷を示す野外博物館のようでであることは前述したが、プラハ城でも同じような時代の変遷をさまざまな建造物にみてとることができる。ギネスブックは「最も古くて大きい城」と認定しているが、10世紀頃にはすでに今と変わらぬ規模を有していたようである。

ヴルタヴァ川に架かるカレル橋と対岸の旧市街地  撮影:2014/05/06
ヴルタヴァ川に架かるカレル橋と対岸の旧市街地 撮影:2014/05/06

神聖ローマ皇帝カール4世(在位:1355 – 1378)の治世下1357年に建設が始まったカール橋は、1402年に完成して城下町と旧市街を初めてつないだ。当初は単に石橋、プラハ橋とよばれ、15のアーチをもつ長さ約500mの橋である。カール4世はボヘミア王カレル1世でもあり、ドイツ語名カールのほかに、英語名チャールズ、フランス名シャルルでも呼ばれる。チェコの作曲家スメタナの交響詩「わが祖国」の第2曲はヴルタヴァ川を題材としているが、ヴルタヴァよりもドイツ語名のモルダウで広く知られるのは、作曲された19世紀後半は、この地はオーストリア=ハンガリー帝國(ハプスブルク君主国)の統治下にあり、ドイツ語が広く使われたことによる。カール橋はいまはチェコ式にカレル橋と呼ぶのが適切であろう。

聖ヴィート大聖堂にあるステインドグラス  撮影:2014/05/07
聖ヴィート大聖堂にあるステインドグラス 撮影:2014/05/07

二日目午前中の市内観光は、プラハ城内の聖ヴィート大聖堂で始まり旧市街の広場で終わった。2009年に見物した歴史遺産を再確認する2時間半であったが、聖ヴィート大聖堂の礼拝堂にある数々のステインドグラスのなかで、緑色を大胆に使ったアルフォンス·ミュシャ(Alfons Mucha)の作成したものについて、地元のガイドさんがチェコのアール·ヌーヴォーを代表する画家·デザイナーであると教えてくれて、新しい発見であった。「皆さんの宿泊しているホテルの前にミューシャ博物館があります」とさらに説明を付け加えた。

14世紀に建築が開始された権威あるこの聖堂に「新しい芸術」を意味するアール·ヌーヴォーの作品があることについては、正直なところ驚いたが、古いものを慈しむプラハの人びとが新しいものも受け入れる進取の精神を発揮した一面だと思った。聖ヴィート大聖堂は600年かかって1929年に完成されているので、20世紀前半に活躍したミュシャの作品は、大聖堂の完成に歩調を合わせたものと推測される。

ステインドグラスには、ギリシャのテッサロニキで生まれたメトディオスとキュロリスという兄弟が、スラヴ地方に初めてキリスト教を布教した物語が描かれている。兄弟は9世紀の東ローマ帝國の知識人、聖職者である。

アルフォンス·ミューシャ博物館の売店  撮影:2014/05/07
アルフォンス·ミューシャ博物館の売店 撮影:2014/05/07

ホテルの真向いにあるアルフォンス·ミューシャ博物館の売店には、流れるような曲線で描かれた女性画や色とりどりの花模様のスカーフなどが並べてあり、店内は混雑して人気の高さが窺えた。19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで開花した美術運動アール·ヌーヴォーは、世紀末の退廃的な美術という指摘もあるが、建築以外の工芸品、挿絵、ポスターなどの分野で活発な活動がみられたことから今なお人々の関心を引き留めているのではないかと思われる。

前回、プラハ市民会館がアール·ヌーヴォー様式の建築であることを述べた。会館内部にはミューシャの手になる装飾が施されていると聞く。プラハを訪れる人にとっては、次から次に現れる歴史的建造物を眺めて歩くだけで、内部にはいってみる時間的余裕がないのが一般的ではないだろうか。2009年に出会った女性はこれで7回目の訪問ですと言っていた。いかにも尤もなことと思う。

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