中央ヨーロッパ紀行

題目の選定



(5) ウィーンへの一日

クルーズ船を見物にきたハンガリーの子供たち  撮影:2009/09/01
クルーズ船を見物にきたハンガリーの子供たち 撮影:2009/09/01

ブダペストからウィーンまでの約300 km の航行の大部分はハンガリーとスロヴァキアの国境を行く。国境を成すダニューブ川は、古代ローマ帝国の東の境界線で、ブダペストもウィーンもパンノニアというローマ帝国の属州内にあった。翌朝オーストリア国内に入るまで終日船内に留まるので、クルーズ船は船内活動に力をいれていた。
ブダペストの市街をぬけると田園風景が広がり始めた。船を見物に来た子供たちと出会った頃、船内では昼食前の時間を利用してドイツ語教室が開かれていた。天候に恵まれて昼食はデッキにも用意された。

ハンガリーの古都エスタゴムにある大聖堂  撮影:2009/09/01
ハンガリーの古都エスタゴムにある大聖堂 撮影:2009/09/01

昼食の後片付けが終わる頃、ハンガリーの古都エスタゴム(Esztergom) の市街が左手に姿をあらわした。出発点から約50 km の地点で、クルーズ船の速度は時速15 km前後と推測された。このあたりで対岸はスロヴァキア共和国となった。すでに言及したように、1241 年のモンゴル侵入をきっかけとして、ハンガリー国王ベラ四世がブダペストに新しくブダ城の建設を始めたが、その時まで、王の居城はここエスタゴムであった。丘の上の大聖堂の左横に城の跡が見えた。西暦1000 年に聖ステファンがハンガリー王国の初代国王となってキリスト教化の政策を進めたことも前述したが、このことは、おりしも中央ヨーロッパで産声をあげたばかりのカトリック諸王国の同盟体である神聖ローマ帝国の一員になり、国王はローマ教皇より戴冠されたということでもある。エスタゴム聖堂はこの聖ステファンによって1001 年に建設が開始された。

ラウンジでの午後のお茶の時間  撮影:2009/09/01
ラウンジでの午後のお茶の時間 撮影:2009/09/01

船首にある大広間はラウンジ(Lounge)と呼ばれ、午前中はここでドイツ語教室が開かれたが、午後には、お茶の時間にあわせてレストランの洋菓子職人によるお菓子作りが披露された。ラウンジは展望を兼ねた休憩室で、乗客たちの交流の場でもある。食前酒を嗜む人たちは夕食の前の1時間をここで過ごし、夕食後に生演奏がはじまるとダンスの好きな人たちが集う。

 ラウンジの一角にあるTour Manager のデスク  撮影:2009/09/06
 ラウンジの一角にあるTour Manager のデスク 撮影:2009/09/06

夕食の始まる15 分前に、「ラウンジでPort Talkを始めます!」というTour Managerの案内の声が自室のスピーカーから聞こえてきた。次の寄港地 (Port)の簡単な説明や観光の予定を紹介するもので、ウィーンでは、港に待機する観光バスに分乗して8 時半に市内観光を開始し、船に戻って昼食とのことであった。Tour Managerという職種は、行く先々の地元ガイドを統括したり、必要とあらば旅程の変更も行なう責任者で、River Emperess には、数ヶ国語に堪能で、ヨーロッパ諸国の政治、歴史にも造詣が深いオランダ国籍の人が添乗していた。後日、怪我をした乗客を寄港地の病院に連れていく役割も果たしていた。

水門で水面の調節を待つクルーズ船  撮影:2009/09/02
水門で水面の調節を待つクルーズ船 撮影:2009/09/02

翌日の早朝、まだ薄暗い時刻にクルーズ船はlock と呼ばれる水門に入った。すでに到着しているクルーズ船の左舷に停止し、扉で仕切られた前後の水面の高さが同じになるのを待った。船首にはカメラが据え付けてあり、この光景は、寄港地の紹介番組や映画を放映している自室のテレヴィジョンでも見ることができる。

売店と小ラウンジ  撮影:2009/09/02
売店と小ラウンジ 撮影:2009/09/02

クルーズ船の受付の前から一階下に降りると売店があり、その横に小さなラウンジがあって、二、三十人の人が座れるようになっている。大広間のラウンジとの混同を避けるためか、ここはパティオ (Patio) と呼ばれていた。早起きの人たちのためにパンなどの簡単な朝食がおいてある場所であるが、この日6 時頃にはすでに準備がなされていた。お茶やコーヒーなどの飲み物が24 時間自分で作れる場所でもある。売店の向こう側には二台のコンピューターが据え付けてあり、旅の始まりともあって、乗客が四六時中メイルの送受信をおこなっていた。ラップトップを携行している人は信号の届く場所を求めて、パティオや階上のラウンジを右往左往していた。

注文に応じるシェフとウェイター  撮影:2009/09/12
注文に応じるシェフとウェイター 撮影:2009/09/12

ウィーン到着の予定時刻は朝の8 時で、レストランでの朝食は7時にはじまった。選択に迷うほどの朝食メニューが準備されていたが、シェフのところにいってオムレツなどを注文する人もあった。クルーズ船の出発点の関係と思われるが、ハンガリー人の職員が多かったが、インドネシア人のウェイターや客室乗務員も数多くいた。これは終点がアムステルダムであり、インドネシアがオランダの植民地であったことによるのであろう。アムステルダムはインドネシア料理の美味しいことでも知られている。船は予定通りウィーンに到着し、ブダペストを出発してからほぼ24 時間の行程であった。

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